介護が必要になった!自宅での家族の介護奮闘記①

介護が必要になった!自宅での家族の介護奮闘記①

私は以前義母を義母の家(旦那の実家)で看ていました。要介護5でした。

実家までは100メートルほどしか離れていなかったので通いながらの介護でした。

私は当時介護なんて本当に何もわからなくて、どうすればいいのか全くわからずとても困りました。

それは今から8~9年前の話で今はもう母も他界していますが、家で介護する流れ、詳しくは要介護認定のことなどは、検索すればたくさん出てきますのでそういう内容は他にお任せするとして、ここでは身内の介護を実際やってみてどんなことが大変か、その時の気持ちや、どうやったらスムーズにやれるのかってことを書いていこうと思います。

介護を受けるまでのまだ元気だった時の状態

私は当時38歳でした、旦那が10ほど年上なので義母はだいぶん高齢で、昭和4年生まれだったので当時80歳ぐらいでした。

たまにですが私が孫と間違われることもありました。

先ほども書きましたが100メートルほど離れた所に義母(面倒なので母と書きます)の実の姉と二人で暮らしていました。

母は「自分は病気したことがない」と常々自慢してはいましたが、さすがに年には勝てずパーキンソン病を患っていました。
正確にいうとパーキンソン病だったのに、自分は元気と思い込むがゆえに病院に行かず、周りには元気だよ、と言っている状態でした。

パーキンソン病というのは、脳の異常のために体の動きに障害があらわれる病気らしく、私が感じた主な症状は腰が非常に曲り、体が動かしにくくなって、動きがスローになっているということです。

私が28歳で結婚した時から母は腰が曲がっていたので、当時からもう病気が進行していたのだと思います。

ですが当の本人は「病気ではない、年で腰が曲がっただけ」と思っていたので、私が病院に連れていくまでほったらかしの状態でした。

もっと早くに病院に行っていれば、病気の進行をもっと遅らせることが出来たのではないか・・・と思っています。

そのころは歩くのはゆっくりで、非常に腰が曲がっていて不便そうだなとは思いましたが、日常生活は困ることもなく姉と二人暮らしで、時には子ども(母からすると孫)の面倒も見てくれたりと元気にやっていました。

通院では・・・

1~2か月に一度のパーキンソン病の通院などは私が付き添っていました。

家が近いと逆にいつでも行けるから、と通院以外は顔を出さなくなっていたかもしれません。

実家というのはかび臭くてなんだか私はあまり好きではなかったんですね・・・

今思えばもっと毎日顔を出していればよかったな・・・と思います・・・・

あるとき通院に付き添った時のこと。

いつもの先生が母に「変わった事ないですか~?」などと言いながら手足を点検していました。

ふと先生が手を止めた所を見ると、母の手首に何重にも輪ゴムがはめらていて、血が止まりそうなぐらいになっていました。先生はちょっと不信そうな目をし、ズボンを捲って脚を見ては肌がカサカサなのを確認しつつ、チラっと私の方を見ました。

なんだか「あなた、こんな弱ってる母親を面倒も見ずにほったらかしなの?」と言われてるようで恥ずかしい思いをしました。

今までまぁまぁ元気にやってるし、食欲がなかったり、時にはしんどいこともあるやろうけど私が行って世話を焼くほどでもないだろう、と軽く考えてたんですね。
今すぐ必要ってわけでもないのに、手首に何重にも輪ゴムを巻いているのにも気づかず、ちゃんと風呂に入ってるのかも知らず肌が垢でカサカサで、よく見るとなんだかいつ洗濯したのかもわからないような服を着ている・・・・

「あぁ私ったらなんてことしてるんだ」って思い心苦しくなりました。

 

旦那は二人兄弟長男で、弟が近くに住んでいましたがバツイチで一人暮らし。
母親の介護をするなら私しかいないな、という事はなんとなくわかっていたのですが、なるべくならやらずに済めばいいな、と漠然と考えてはいました。

だけど母は折に触れ「自分はどれだけ姑や舅の世話をしてきたか・・・」という話をよくしていたもので、「自分は人の世話をしてきたから今度は世話になる番だ」と考えてるフシがありました・・・・

よりいっそ私は「母の介護は私がしないと・・・」と感じるようになっていました。

介護のようなものが始まった

家に帰って風呂に入るの手伝おうか?というと(私は嫁だし裸見られるのも嫌だろうなと思いましたが)案外あっさりと「じゃぁちょっと背中流してくれる?」というので、その日から風呂に入るのを手伝うことになりました。

今までパーキンソン病で体が不自由なので洗えてなかったんですね、どこを洗ってもボロボロと垢が出てきた時はよりいっそ、今まで自分は何やってたんだ、と自分がダメな人間に思えてなりませんでした。

自分の子どもがまだ小学生で、さらに下の子は自閉症なので忙しさもあり、毎日はさすがに無理なので2~3日に一度実家に行って風呂に入れるようになりました。

その当時母の姉(叔母)も病気がちだったので、通院に付き添ったり、用事を頼まれたりすることもありました。

また、必要な物があれば買い物に行ったり、銀行へ行ったり、区役所に用事があれば区役所に、郵便局に用事があれば郵便局に行き、食べる気がしない・・・と言えば家でおかずを作って昼や夜の分を持っていきました。

今思えばこの頃から介護が始まっていたと思います。

こういうところから介護って始まるんですね。

当時は介護という文字さえも思いつきませんでしたが・・・・

入院がきっかけて全てが変わった

認知症の気配

夏のある日何か食べたい物はないか?と聞きに行った時のこと。

外気は35度とかうだるような暑さだったと思うのですが、母と叔母はクーラーも付けずに電気も付けず、うす暗がりで(日当たりが悪い部屋なので)黙って座っていたのを見てびっくりしました。

慌ててクーラーを付けましたが「勿体ないから」とか「そんなに暑くないよ」と言って我慢していることが多かったです。

老人は暑さをあまり感じないということがあるので本当に要注意だと思いました。

また汗もほとんどかかないので、熱が籠りやすく脱水症状に陥りやすいです。

時々クーラーを付けに行くのですが、そんなこんなでひと夏越すとだいぶん体が弱っていってるような感じでした。

この時はまだ要介護の認定なども受けておらず、まったくどうすればいいのかもわからない状態でした。

今思えばすぐにでも区役所に行って相談すればよかったのに、と思います。

だけど特に昔の人は「これぐらい大丈夫」とか「他人の世話になりたくない」とか「介護なんか受けなくてもなんとかなる」と考えてるふしがあり、いきなり「介護認定受けてみてよ・・」とこちらが言っても「はい、そうですか」とはならない感じでした。

息子の嫁に面倒看てもらおう、と思ってるわけではなさそうだけど動けるのは私しかいないわけだし、必然的にそうなっていきましたが、母としては「しょうがない、困ったときは助けてもらおうか」ぐらいのスタンスだったと思います。

私は働いていなかったので、ある程度世話は出来ますが、これが仕事を持っている方だと本当に困った事態になっていると思います。

介護は「世話してもらいたい」と思ってもすぐには全く無理なので、当の本人はまだまだ元気と、介護されることを拒否することが往々にありますが、説得して事前に認定を受けておくことが大切だと思いました。

もちろん症状によって、介護認定受けたからと言って認定が下りるわけではありませんが、母のケースでは完全に要介護間違いなしでした。

そんなある日食事を持って行った時に母がふと言った言葉に愕然としました。

「外は暑かったやろう・・・?」

・・・もう秋も深まり寒いぐらいの日でした・・・・

最初気のせいかな?と思いましたがもしかしたら認知症になっているのかも知れない、と思いました。
たまたま母には暑く感じただけ?とも思えないこともないですが、なんとなくそうではない、という気がしました。
この日から認知症の症状がちょいちょい見られるようになりました。

ほぼ毎日は実家に顔を出していましたが、子どももまだ小さかったですし、時には家族で遊びに行ったりもしていましたし、そこまで悲壮感はなかったのですがこうして文章に書くととても辛かった出来事やったなぁ・・・と思います。

ただ辛いのはほんの序の口です。

介護はまだまだここからです・・・・・

ある日叔母から電話がありました

世話をするようになって1年ぐらいは経っていたでしょうか・・・もしかしたら半年ぐらいだったかもしれませんが、よく覚えていません。

冬のある日のお昼頃、叔母から電話がかかってきました。

「ミーちゃん(私はこう呼ばれていました)お母さんがね、ご飯食べないの、むにゃむにゃ言って口は動かすんだけど、なんかおかしいの!ちょっと来て!」と

慌てて走っていくと、母は横になって呼びかけると反応はするけど、返事はないという感じでした。

何か喉に詰まらせたとかではないようだけど・・・返事が的確ではない・・・

なんかムニャムニャ言ってるだけ・・・

今ならわかるのですがこういうのを「意識レベルが低い」というようです・・・

「どうしよう!?」

「救急車呼ばないと!」

子どもを叔母(母の姉)に預け、救急車を呼んで乗り込みました。

救急車で隣の区の中規模の病院に運ばれました。

まともに言葉を交わしたのがこれが最後となりました

不思議と病院に運ばれて医師の前に行くと母は気が確かになりました。

先生が「どう?ここは痛い?どこがしんどい?」と聞くとちゃんと答えようとしていて、声にならない所は私が答えたりしました。

どうやらインフルエンザにかかっていたようでした。

熱は無かったのですがとてもしんどい状態だったんだと思います。

その後わかったことですが、インフルエンザがきっかけとなってか、以前からなのかわからないけれど、パーキンソン病だけでなく糖尿病の疑いや低血圧、心臓病やいろんな病気を併発している状態でした。

詳しくは入院中に検査していきますから、ということで病室に運ばれていきました。その時急に母が私の方を見て

「これでお別れやな、さよならやな・・・」といいました。

最初聞き間違いかな?と思いましたが確かにそう言ったと思います。

「ん?また明日くるからね?」と言いましたがそれがまともにしゃべった最後の言葉となりました。

別に命に別状なかったのに・・・「さよならやな・・」なんて

それ以後入院生活が3か月続きました。そしてその後、実家で介護をすることになりました。
介護認定も受けました。
病院にも何度も行きました。
施設に通所、入所もしました。

また詳しく書きます。

長くなりましたので今回はここまでにします。