介護が必要になった!②自宅での家族の介護奮闘記

介護が必要になった!②自宅での家族の介護奮闘記

前回の話はパーキンソン病を抱えながらも、1年ほどなんとか自宅で面倒を看ながら過ごしていたのだけど、急にインフルエンザにかかってしまい衰弱し、意識レベル低下で病院に運ばれ入院したところまででした。

介護は突然やってくる!自宅での介護ってどうするの?①

 

入院生活は認知症が早くすすむ

「これでお別れやな、さよならやな・・・」と言った母でしたが、次の日から病院に見舞うことになりました。
最初の頃は毎日行っていたのが、だんだん日が経つごとに2日に一度になり、3日に一度になりました。

というのも、寝たきりで話しかけても返事もないし、目は開くけれど話せないようで、見舞ってもやることがなくて、居辛かったのがあります。

喉が引っ付いてしゃべりにくくなったいたというのもあるかも知れませんが、目で訴えかけてきたり、何か言いたげな時ってわかりますよね、それも一切なかったのです。

今思えば認知症が進行している時だったと思います。

最初の頃はインフルの影響でかなりしんどかったのもあり、そのせいで眠ってるのかな?と思いましたがインフルが治っても血液検査での結果やCTスキャンなどで糖尿病の疑いや心臓が弱っているという容態でしたが、それにしても反応がなさすぎて心配になりました。

始めは24時間点滴で、数日後から介護食・・・マッシュ食だったと思います。

完全看護で看護師さんが食事は食べさせてくれていましたが、嚥下(えんげ)が上手くいかず飲み込みにくくなっているとのことで、マッシュ食さえも食べなくなっていました。

入院が1カ月、2か月と経つうちに食事の量も増えてきました。
(だいたい看護師さんが食べた量を主菜、副菜1/3とか1/2とか全量と書いてくれます)

目で見る限りでは元気になっていそうでしたが・・・・

起きれない状態でした。

起きれないというか自分の力で姿勢を保てないようになってしまっていました。

そしてこちらが何を話しても反応は無く、別の言葉をしゃべってる状態でした。

自分の世界で誰かとしゃべってる感じでした。
入院生活ではあっと言う間に認知症が進むと思います。

とうとう私の顔だけでなく、旦那の顔も、大好きだった孫の顔さえもわからなくなっていました・・・・

もう意思の疎通ができなくなっていました。
あの「さよならやな」と言っていたのが本当にその通りになってしまったなと思い悲しかったです。
何か母には自分の行く末が見えたんでしょうか・・・・

入院での反省すべきこと

今思えば入院中でも、意思疎通が出来なくても、もっとやりようがあったのではないか?と思います。

例えば寝たきりになる前に少しでも体を動かすようにマッサージしたり、病院にもっとリハビリをしてくれるよう頼んだりしてみればよかったです。
また車いすに座らせて散歩したり、食欲がなくても食べれる物、食べさせてもいい物を聞いて、食べさせればもう少し体力を保持できたかも知れません。

ある意味面倒看てくれている病院に気を使い、下手に何か提案したり、こうして欲しいなどの要望を言いにくかったというのもあります。

完全看護だから病院に任せておけばいいと安易に考えていました。

病院は病気を治しておむつを替えて食事を食べさせてくれますが、それで精一杯だと思います。

本人が何も言わないからわからなかったけど、もっと想像力をもっていろんな事をしてあげたらよかったと今なら思います。

私も旦那と子どもの世話と実家に一人になった叔母のこともあったので、いっぱいいっぱいだったと言ったら言い訳になるかも知れませんが、その時は母には何もしてあげられませんでした。

そうこうしてるうちに入院生活は2か月を過ぎ、3か月になろうとしていました。

介護認定にむけて準備が大変だった

担当の看護師の方に病状も落ち着いているので退院するか転院してもらわないといけません、という事を言われました。

3か月という区切りがあるんですね(それさえも知りませんでしたが)

病院で面倒を看てもらった方が安心だろうな・・・とは思っていましたが、看護師さんがいうには「転院となると、どこに行くかわかりません。ものすごく遠方の病院に行く場合もありますし・・・・」ということでした。

ようするに「転院は勧めない」ということらしいです。

また「お嫁さんは(いつも私はこう呼ばれていました)仕事されてますか?してなかったら自宅で看て頂くのがいいと思いますが・・・」と言われました。

「どうしても自宅で看れないとおっしゃるなら、転院の手続きをしないといけません」

私は自宅で介護なんて想像しただけでも大変そうだし、内心「えーーー!?」と思いましたが、どうしても「自宅では看れません!」とは言えなかったです。

「働いてない」「こんな非常事態の時のための専業主婦なのではないか?」「ここで断ったら、ものすごく非情な人間じゃないか」という考えが湧いてきて

気が付いたら「家で看ます・・・」と言っていました。

旦那は何もしないので「お前がそれでいいなら、そうしてくれ、頼む。」という感じです。

旦那に何を相談しても終始こういう感じなので、ほとんどの手続きを私がやり、私が決めていました。

退院までの間にやらなければいけないことがたくさんありました。

退院するまでの間、介護認定を受けるために区役所に行き、ケアマネージャーと契約をしたと思います(時期はうろ覚えですが・・・)

役所手続き等

〇区役所に申請書、介護保険被保険者証などの必要書類を提出

・・・1週間~数週間かかったと思います

〇1次判定に向けて市区町村から、訪問調査の日程連絡があるので訪問調査の日時を決める

また1週間~数週間・・・

〇1次判定。市区町村の担当者(介護支援専門員)との聞き取り調査。
市区町村から主治医に対して、意見書の作成も依頼される

入院中だったと思うので、病院で聞き取り調査をしたと思いますがうろ覚えです。

〇2次判定。1次判定の結果から主治医の意見書や必要書類により、介護認定審査会が、要介護認定区分の判定を行う

主治医の意見書などは、入院していたのでスムーズにもらえて便利だったと思います。

〇やっと認定結果の通知
申請から30日以内に、認定結果と介護保険被保険者証が郵送される。認定の区分は一番重い要介護5でした。

なにしろ時間がかかり、退院との兼ね合いで焦っていたと思います。

家で看るために態勢が整うまで、3か月は過ぎて数日間は病院に預かってもらっていたように思います。

ケアマネージャーが決まったら、担当の方がいろいろ親身になって教えてくれるので、その通りに自宅介護に向けてありとあらゆる会社と契約を結んでいきました。

自宅で介護するための準備

寝たきりなので介護用のベッドが必要でこういう大きな物や高価なものはすべてレンタルできるので借ります。

  • 介護用ベッドレンタル
  • リクライニングする車いすレンタル
  • 移動入浴の会社との契約
  • 食事(介護弁当)の会社と契約
  • 訪問してくれる病院と契約
  • 訪問介護の会社と契約
  • 後に通うことになった通所の介護施設との契約

何をするにも契約、契約で大変でした。

担当者と時間を調節して会い、契約を交わします。

そのたびに書面に実家の住所や名前や生年月日、旦那との続柄や住所名前、生年月日を何枚も、何枚も書かなければならず、判子も押しまくらないとダメです。

日頃あまり字を書かないのでペンだこが出来るほどでした、滅茶苦茶疲れました。

それと同時進行で実家の片付けをしてベッドを入れるスペースを確保しなければなりませんでした。

昔の人なので物をなんでも大事に取ってあり、どこを開けても物、物、物でした。

捨てたくても叔母が見張っており「あー、それいる、これもいる!捨てたらアカン!」と怒るので大変でした。

旦那と「片付けないとベッドが入らないし、介護の人にも来てもらえないし困る!」と説得してようやくしぶしぶ。。。承知したという感じでしたが、終始衝突していました。

叔母は他人に家に入られるのが嫌だと言って、業者との打ち合わせの時など寒いのに窓を開け放ったり「あー、鬱陶しい!」と口に出したりして怒っていました。私もどうすることも出来ずとても困りました。

冬でしたので、空気が汚れないオイルヒーターを買い設置しました。

また夏に向けてクーラーがなかったので、クーラーも買い、設置しました。

ヘルパーさんに家に来てもらい、介護してもらうので動線を整えたり、誰がみてもわかるように必要な物を整える必要がありました。

急きょ必要だったモノ

タオルやおむつ、おしりふきやビニール袋、新聞紙、匂いが漏れないゴミ箱、薬入れ、口内洗浄綿やとろみ粉、やってみないとわからないことも多かったので、あとで買い足していきました。

すぐ使うものとして前開きのパジャマを4セットほど買い、シーツや防水シーツを2~3セット、布団も新たに買い足しました。

寝たきりでしかも自分で寝返りが出来ないので、体が痛くなるのでクッションを膝の間や、膝の裏、背中に大き目なのを当てたりしなければならなかったので、クッションを3つほど買いました。

また自力で噛めないのと、嚥下(えんげ)が困難になっていたのでマッシュ食にする必要がありました。

今はどうかわかりませんが当時はマッシュ食の宅配弁当などはなかったので、昼は普通の老人向けの弁当を宅配してもらい、それをヘルパーさんにミルミキサーでつぶして食べさせてもらっていました。

台所に入ってもらう必要もあったので、古くて汚い台所でしたが掃除しまくり、叔母に承諾を得ながら物を捨て、片付け。

小鍋や電子レンジ、ミルミキサーを新たに買い足しました。

 

いよいよ退院して実家に帰ってきました

移動するのは歩けないのがなにより大変で抱きかかえて車いすに乗せる必要がありました。

移動は介護タクシーを利用

家の車では車いすのままは載せれませんでしたので、介護タクシーを頼みました。かなり割高ではありますが、車いすをリフトする機械が付いているので楽々、車いすごと乗り込めます。

車から家のベッドまでの数メートルは抱きかかえて(お姫様抱っこのような感じ)移動なので、大変でしたよ。

最初は介護タクシーの方に頼んでいましたが、近所の病院に行く時などは私が抱えることもありました。

痩せてて軽い母でしたが、ぐにゃっとしてて人体って重たいな・・・と思いました。力持ちなのでよかった・・・と思った瞬間でもありました。

ヘルパーさんの利用回数など

こうして自宅での介護が本格的に始まりました。

ヘルパーさんを利用できる時間は介護保険の枠内で出来るように、月に何時間と決まっています。

朝1時間、昼1.5時間、夕方1時間と目一杯利用してましたがこれでも私はしなければいけない仕事はたくさんありました。

  • 朝食作り
  • 朝一番のオムツ交換
  • 夕食作りと夕食を食べさせること
  • 口腔ケア
  • オムツ交換
  • 深夜のオムツ交換とその都度態勢入れ替えの仕事がありました。
  • またよくオムツが漏れていたのでその度にパジャマとシーツ類をすべて取り替えて洗濯しなければならず、大変でした。
  • 便の出やすい薬を飲ませていたので1日に2~3回便があって交換が多く悲惨でした。後に薬を調整してもらい、この作業は減りました。
  • お茶はまれに食道に入らずに肺に入ってしまい、肺炎になる恐れがあるために常にトロミを付けてスプーンで飲ませる。

またオムツはかぶれないようにペットボトルにお湯を入れて蓋に穴を開け、シャワー状にして石鹸を付けて洗うようにしていました。

私もヘルパーさんのする様を見て、見よう見まねでやっていました。

基本は赤ちゃんのオムツ交換と同じような感覚でしたが…

ヘルパーさんには「丁寧にやっているね」とお墨付きをもらいました。

当の本人は常に知らん顔でしたが…

何もやっても手応えがなくてそれがしんどかったです。

たまに「あんた誰や」と言われたり、嫌がられることもありました。

兎に角毎日は大変で辛かったです。

介護保険の枠内から超えた分はヘルパーが受けれなかった

1カ月の中で利用限度額というのでしょうか?これを超えることが必ずありました。

超えた分は実費になるので、ケアマネージャーの方から「超えた分はヘルパーはどうされますか?実費になりますからお嫁さんがされますか・・・?」と言われました。

今の要介護5の利用限度額は¥358,300(参考額)です。

それの1割負担でいいので¥35,830の支払いで済んでいます。

しかし超過分は実費と言うことで、いったいいくら取られるんだろう?という恐れと母の貯金を使うのに私が勝手に判断していいのだろうか?


自分の仕事が増えるのが嫌なために母の貯金をどんどん使っていいものか・・・悩みました。(今考えると遠慮せず、貯金なんかどんどん使えばよかったと思っています)

旦那と旦那の弟に相談すればよかったのですが、そんなゆっくり相談している間もなく、ヘルパーさんを頼むなら頼むでスケジュールを決めないといけなかったので「じゃぁ私がやります・・・・」と言ってしまいました。

しかしやりますと言ったものの、超大変でした。

1カ月の1/3ほどは朝のヘルパーさんを止めたり、また夕方のヘルパーさんをも止めて私がやらないといけなくなりました。

ただでさえ朝食作りや夕食作り、掃除、洗濯、おむつ替えがあるのに、手が回らないほど忙しかったです。

しかも次男が自閉症でしたので、毎日小学校に連れていかなければならず、母の朝のおむつ替えの時間と重なって苦労しました。

旦那は仕事という大義名分のもと、ほとんど何もせずで、もともと仲良し夫婦ではなかったのにますます隙間風が吹きこみました。

当時は旦那だけは生活を以前とほとんど変えることなく、普通に会社員として働き、私ばかりが毎日てんてこ舞いでイライラしていました。

しかし自分が介護をすると言ってしまった手前、どこにも文句を言っていくわけにも行かず本当に辛かったです。

たまに旦那は私の殺気を察知してか「すまんな~、ありがとう、おつかれさま」と言うのですが、内心は「お疲れというぐらいなら、何かしろ!」と怒っていました(笑)

よく「ありがとう」と言われたらそれだけで報われますぅ。
という方がいますが、私はそんな出来た人ではなかったので、ありがとうの掛詞(かけことば)ぐらいでは「けっ!」と思っていました。

それぐらい介護に追い詰めらえていました。

当時の利用してたヘルパーは日曜日が休みでした

日曜日はヘルパーの会社自体が休みだったので、朝から晩まで看なければなりませんでした。

介護は実家でしていましたので、ほんの100メートルほどしか離れていませんが、家と実家を何度も往復しました。

子どもがまだ小学生2人だったのに、土、日曜日にもどこにも連れていくことが出来ず可愛そうなことをしました。

消耗品の購入も結構大変

とろみ粉、おむつ、ウェットティッシュ、パッド、これらはすぐに無くなります。

いつも週1回旦那にドラッグストアまで車で連れて行ってもらい、購入していました。結構大変です。

今だと宅配も主流になってきてるのではないでしょうか?そういうのを利用したほうが少し楽かも知れません。

こんなに辛い思いをしない為にできること・・・

今思うに、介護保険の利用限度額にとらわれずに、実費がかさんでもヘルパーをずっと頼めばよかったと思います。

そんな何十万も取られるわけではないのです、払い過ぎた分は少しあとで返ってきますし、何よりこんなに一人で抱えて苦労することはなかったのです。

日曜日も日曜日にやってるヘルパーの会社が探せばあるので、それも実費になるけど頼めばよかったのです。

お金がない場合は仕方ないかも知れませんが、一人に介護の負担がかかるというのは長続きしませんし、疲れますし、介護する人間が病気になります。
(のちに私も病気になり手術しました)

介護する者が元気でないとすべてが破たんしてしまいますので、「私がしなければ」と思い過ぎるのはよくありませんでした。

介護は長丁場です、無理は当たり前ですが無理し過ぎない範囲で、ということが大切です。

書き残していることがありそうですが、今は思い浮かびません・・・

またおいおい書き足したいと思います。

そして次は1年弱続いた自宅介護から解放されて、施設に入居できたことを書きます。